第2幕 ハウとカイの世界巡り

軽称を捨てて

 ペパー特製のアップルサンドは、みんなあっという間に完食した。
 スグリのオオタチもとびきりご機嫌になって、今は向こうで他のポケモンたちと追いかけっこをして遊んでいる。
 サンドウィッチに入っていたキタカミ産のりんごは、スグリにとって珍しくも何ともない食べ物だ。小さい頃から当たり前に家にあって、いつでも好きなだけ口にできた。それがペパーの手に渡り、相性を考えられた他の食材や調味料と合わさることで、こんなにも新鮮な味わいになるなんて。

「ペパーくんは、ほんとに料理うめぇんだなあ……!」

 空になった皿を惜しげに見つめながら、スグリは思わず感嘆の声をもらした。
 するとペパーはやたら真面目な顔で、じっ、とスグリの目をのぞきこんだ。

「ずっと気になってたんだけどよ。」

 何かまずいことを言ってしまったのだろうか。スグリの首筋をひやりと汗が伝う。

「オレのこと、ペパー『くん』じゃなくて、呼び捨てにしてくれていいんだぜ。」

 予想していなかった話の方向に、スグリはとっさに返事ができなかった。もっとも、「じゃあ私も!」とネモが言葉を続けたから、それが悟られることはなかったけれど。

「私のこともネモって呼んでほしいな!」
「あー……そういう流れ? まあうちも別に、呼び捨てで構わんよ。」

 ボタンも2人に賛同する。

「で、でも……。」

 スグリは戸惑いながら、ちらっとカイのほうに視線をやった。
 ハウとカイはアップルサンドだけでは満腹になれないコライドンのために、専用のサンドウィッチを作ってやっているところだった。「あー、そんな所にベーコン積んだら崩れるよハウさん!」とカイの叫ぶ側からベーコンは転がり落ち、コライドンが瞬く間にそれを口の中に拾い入れ、ハウは楽しそうに笑っていた。

「カイはみんなのこと、ハウさんとか、ペパー先輩とか呼ぶべ? だったら俺も……。」
「あー、アイツは」

 ペパーがしょうがなさそうに口端を上げる。それは苦笑というよりも、風変わりな旧知をいとおしむ表情だった。

「そういうヤツなんだよ。」
「『ハウさんに対する私の敬愛が、常にあふれ出てしまうのです』って言ってたよねー。」
「正直、うちもカイにボタちゃんって呼ばれるのはもう諦めてる……。」

 それぞれのカイ評に、同じ人物でも様々な表現があるんだなと、スグリはちょっと面白さを感じる。
 でもオマエのは、とペパーがスグリに話を戻した。

「なんつーか、遠慮してる? みたいな気がするんだよな。1歩退かれてるっていうか。」

 ペパーがそんなふうに思っていたなんて知らなかった。
 他人との距離感って難しい。俺はまた間違えちまったんだなと、スグリは林間学校でハウとカイに出会ったばかりの頃を回想した。


 一緒にオリエンテーションをした時のことだ。里の看板巡りをするというので、地図で場所を教えるため、スグリはカイが手に持っていたスマホロトムをのぞきこんだ。直後、話しかけてもカイの返事がない。どうしたのかと顔を上げたら、カイの瞳の中に自分の姿が映っているのを見つけた。その姿見はすぐに細くなり、くすくす声がもれた。

「あ、ごめんね。スグリくん、いきなりくっついてくるから、ちょっとビックリしちゃった。」

 そこに他意はなく、カイはただ本当に愉快だっただけだと思う。ハウも何も言わなかったし、決して悪意がなかったのは伝わっているはずだ。
 しかしいずれにせよ軽率だったのは否定できない。初めて会った時、ハウとカイが互いを特別なパートナーとして紹介するのは聞いていたのだから。スグリはその晩、それなりに頭を抱えた。


「いや、別に無理する必要はねえんだけど! でももし遠慮だけが理由なんだったら、呼び捨てのほうがうれしいなーって。オレら、友達ダチなんだからさ。」

 黙りこんでしまったスグリに、ペパーがフォローを入れた。ネモとボタンも心配そうにこちらを伺っている。
 次こそは失敗しないように、大切な友達の大切な人を大切に扱えるように、気をつけているつもりだった。でも結局それは、ハウとカイを通じてしかペパーたちを見ていなかったということ。いつも姉の後ろに隠れていたように、今度はハウとカイの後ろに隠れてペパーたちを呼んでいただけ。

「俺は……。」

 それって、本当にペパーたちを「大切に扱っている」と言えるだろうか。
 敬称を付けているつもりで、彼らを軽んじてはいなかっただろうか。
 そんなことは望んでいない。
 俺は、みんなとちゃんと向き合いたい。

「お、俺……みんなのこと、呼び捨てにしても、いい……?」

 スグリはペパーと、ネモと、ボタンの目を、1人ずつ真っ直ぐに見た。
 友人たちは笑顔で答えた。

「おう、もちろんだぜ!」
「やったー! うれしい!」
「うちはどっちでも。スグリのやりやすいほうで。」

 きっとそう返してくれるのはわかっていたはずなのに、何を怖がっていたんだろう。ほんの小さな谷間を飛び越えるだけなのに、その距離を測りかねて二の足を踏んでしまうのがスグリで、けれどそんな自分でも一緒にいてくれるのがこの友人たちだ。
 スグリは今、ハウとカイとの関係を前提にすることなく、彼らを大切にしたいと思えていた。

「あー、みんな集まって何してんのー?」

 コライドンにサンドウィッチをやり終えたハウとカイが側に来た。スグリはにーっと歯を見せる。

「ペパーの料理、わやうめえなって話してたんだべ。」

 その変化にすぐ気づいたのはカイだった。続いてハウも「あれっ」という顔をする。
 ペパーがスグリの肩に腕を回し、ぐいっと自分のほうに引き寄せた。

「そう! ペパーお兄さんのスペシャルサンドウィッチに、スグリも感激ちゃんってわけ!」
「いやいきなり距離近っ! スグリびっくりしてるじゃん。」

 ボタンの鋭い突っ込みも、上機嫌なペパーに効果はいまひとつのようだ。じつのところ、スグリもまんざらではなかった。

「平気だ、ボタン。けど、にーちゃんって響きはちょっとくすぐったいな……にへへ。」

 人との距離感は難しいから、また間違えてしまうことも、間違えられることもあるのだろう。でもこの友人たちとなら、大丈夫のような気がする。そんな失敗も葛藤も全部含めて、きっとこれからも一緒に物語を紡いでいける。

「ペパー、俺、アップルサンドもう1つ食べたい。ねーちゃんにも持って帰ってあげたいし。」
「おう、任せろ! 友達ダチのためなら何個でも作ってやるぜ!」

 スグリのお願いに、元気よく答えるペパーの声。それから、おれも! 私も! おかわり食べたらバトルしよ! なんて言葉も続いた。
 そうしてスグリたちの何でもない、けれどかけがえのない時間を記す文字が、ひとつずつ刻まれていく。
 ピクニックはまだ始まったばかりだった。 挿絵:一緒にサンドウィッチを食べるスグリとオーガポン