第1幕 アローラでの冒険編

カイからハウへの告白

 カイが初めてハウのことを恋愛対象として意識したのは、ウラウラ島のエーテルハウスでの事件がきっかけだった。
 スカル団にさらわれたヤングースを取り返しに行く前、ハウは謝罪した。

「ごめんよ……カイ。」

 太陽のように朗らかないつもの笑顔を打ち砕かれ、無力感に苛まれるハウの震え声を聞いた時、カイのスカル団に対する怒りは爆発した。この光を沈めた輩を必ずブッ壊すと、脳髄が焼き切れそうなほどの強い感情に、一瞬全身を支配された。
 そして悟った。
 ああ、私はハウに惚れてるんだ、と。

 ヤングースの誘拐は、そこからあれよという間に転がっていった事態の序章にすぎなかった。
 カイはハウとグラジオと共にエーテルパラダイスに乗り込み、スカル団と手を組んだエーテル財団を蹴散らして、ルザミーネの真意に到達した。ルザミーネとグズマがウルトラホールに消えるのを成す術なく見送った後も、とりあえずの脅威は去ったとはいえ、決して気の休まる状況ではなかった。
 カイはリーリエと共にウルトラホールに入る手段を探しに。ハウは己を鍛えるべく島巡りの完遂を目指して。互いの道がいったんは分かれていることを、カイもハウも、理解していた。

「いってらっしゃいだねー。」

 ルザミーネとグズマの失踪から一夜明けたエーテルパラダイスで、先に笑ってみせたのはハウだった。
 いってらっしゃい。それは見送りの言葉。おれはカイとは一緒に行かないという、意思表示の挨拶だった。
 本当は誰よりも悔しかっただろう。今度こそ足手まといになる予感を認めるのは、簡単なことではなかったはずだ。それでもハウは、今のままではカイの隣に立てないと判断した。今やるべきことは自己の鍛錬だと結論を出した。それは紛れもなく彼の強さだと、カイは思う。
 夜を経て再び昇った太陽は海を照らし、光が波頭にきらきら跳ねた。エーテルパラダイスを吹き抜ける朝の潮風を浴びながら、カイはハウの笑顔に返す言葉を見つけられなかった。
 黙ったままのカイより先に、船着き場に足を向けたのはハウだった。

「お見送り。行ってもいいでしょー?」

 島巡りを再開する前に、ポニ島までカイとリーリエを見送りたいというのがハウの申し出だった。それでハウもカイたちと一緒に船に乗り、ポニ島への航路を進んでいた。

「あの時と同じだねー。」

 船室の椅子にカイと並んで腰かけ、ハウはしみじみと息をついた。グラジオとリーリエは甲板に出ていたので、今ここにはカイとハウの2人きりだった。
 ハウと共に船に乗ったことは何度かあったから、ハウの言う「あの時」がどの時なのか、カイには分からなかった。けれどそれは大した問題ではない。重要なのはあの時も今も、カイとハウが同じ時間を共有していることだった。

「食べる?」

 ハウがサンドウィッチを差し出した。ビッケにもらったお弁当だ。ありがたくカイが半分を受け取ると、ハウは自分で食べるのよりも嬉しそうにしていた。

「腹が減っては戦はできぬって言うもんねー。」

 そうして平時と変わらぬ様子でサンドウィッチを頬張るハウの顔を見て、カイは思い出した。ああそうだ、あの時と同じだ。前にもこうして船上でハウと食べ物を分けあったことがあった。あの時もエーテルパラダイスを出港した船の上で、食べたのは大きなマラサダだった。
 サンドウィッチのパンはふわふわでやわらかく、少し甘く味付けした玉子の滋味が、ひとかみごとに心身へ染みた。
 カイとハウは、そうしてしばらく黙ってサンドウィッチを味わった。美味しいものを食べている間はおしゃべりする暇がなくなるものだ。でも、2人が言葉を見つけられない理由は、たぶんそれだけではなかった。
 食事を終えた後もどちらから何を言い出すでもなく、2人並んで座って、響く船のエンジン音と波の揺れを感じていた。

「もうすぐポニ島に着きますよ。」

 船室に姿を現したのはリーリエ、続いてグラジオだった。カイを呼びに来てくれたようだ。カイは立ちあがり鞄のひもを握った。ハウも腰を上げて、カイとリーリエの両方に向き直る。

「じゃあここでお別れだねー。カイ、リーリエ、頑張って。おれ応援してるからー!」
「……外まで見送らないのか?」

 船室で送別の言葉を完結させたハウに、グラジオが尋ねる。ハウはへへと頭をかいた。

「うん。ポニ島を実際にこの目で見るのは、島巡りで訪れた時を初めてにしたいからさー。」
「……そうか。」
「ハウさん、ありがとうございます。カイさんと一緒に頑張ります。」

 リーリエが両の握り拳を胸の前に掲げて、気合いを示した。そしてグラジオと共に、先に甲板へ向かった。
 再び船室には、カイとハウの2人きり。
 カイも何か声をかけようと思った。ありがとう、行ってきます、ハウも頑張って……。しかし浮かんできた言葉は全部、喉につかえて音にならなかった。

「カイ。」

 先に口を開いたのはハウだった。ハウもまたいくつもの音のなりそこないから、ようやく言葉を拾いあげられたようだった。

「おれも、一緒に戦うから。」

 顔を上げたカイを、ハウの目線が真っ直ぐにつかまえた。

「おれ、カイに付いては行けないけど……。でも、おれもおれなりに自分とポケモンたちを鍛えるよ。離れててもおれたちは一緒に戦ってるって、最後まで2人で島巡りしてるって、カイも思ってくれたら嬉しいなー。」

 おれもきっとすぐに追いつくから、とハウは笑った。

「だから絶対、無事に帰ってきて。」

 ハウの黒い瞳に自分の姿が映っているのを見つけて、カイはエーテルハウスで気づいてしまった想いを再び抱きしめていた。
 私は、ハウに恋してる。
 身体中熱くて、頭がぽーっとなりながらも、カイはハウにうなずいた。そして突然怖くなった。もしも無事に帰ってこられなかったら? 二度とハウに会えないかもしれない。一瞬でも考えてしまったら、もう止まれなかった。

「ハウさん。」

 気がついたらカイは、その名を呼んでいた。
 なにー? と首をかしげるハウに

「好きです。」

 はっきりとカイはそう告げた。
 直後のハウは、何を言われたのか分からなかったようだった。

「島巡りが終わった後も、私はあなたと一緒に……ずっと一緒にいられたらいいなって、思ってます。だから絶対、無事に帰ってきます。」

 そしてカイは返事も聞かずに、くるりときびすを返してリーリエを追った。

「行ってきます!」

 甲板に出る直前、1度だけ振り向いて、とびきりの笑顔をハウに見せた。
 ハウは頬に赤みを差したまま、何も言えなかった。カイの姿を目に焼きつけておくだけで精一杯だった。

「ずるいよ……カイ……。」

 ハウのつぶやきは、火から降ろしたばかりのやかんからぴすぴす漏れ出る蒸気みたいな音で、からっぽの船室に響いた。